川南工業浦ノ崎造船所の歴史
VR | 川南造船所はそれぞれ部品工場 であり、それぞれの施設があの遺産と隣接する売地に 集結していました。 型取りの段階なら跡地で型取り作業をしていた 場所にVRポイントを設け閲覧 中央ホールなら中央で当時行っていた 作業をVRで再現し閲覧 外観VRは廃墟と操業時を対比させるように 操業時→廃墟 と切り替える。 このように現在、作業内容が確認されている部屋ごとにVRを設けます。 仕組みは三重津海軍所跡をリスペクトしており 緑地公園とも一体化できます。 また、各部屋毎に 廃墟時はこんなになりましたと、操業VR→その部屋の廃墟時と 見比べれるように VRに組み込むと、より遺産に立ち会ってるのだと実感が沸くと考えます。 同時に、VR中はナレーションの解説を仕組み 海龍の建造なども解説していただきたいです。 |
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VRに対しての意見 | 佐賀県庁様からは 「とても良い案だが、伊万里市が動かない限り、会議や支援ができない。もう1度伊万里市に提出してみてください。」という貴重なご意見をいただきました。 伊万里市 「ご意見ありがとうございます。現在、跡地の進展は予定していません(2017年) ですが、跡地の案を頂けたのは●●様が初めてです。公園化の検討が予定され次第VRの方も検討していきます 」 とのことでした。 |
戦争遺産として | 同じ戦争遺産として 長崎県佐世保市の 国指定重要文化財である針尾送信所や佐世保要塞などの佐世保広域都市圏の遺産郡とも連携ができます。 針尾送信所は真珠湾攻撃の打電【ニイタカヤマノボレ】を 送信したであろう場所として知られています。 佐世保要塞 は明治帝国陸軍 が弾薬庫等で使用していた歴史があり 現在は緑地公園と一体化し 観光地となっております。 また川棚には片島魚雷発射試験場がそのまま 保存されており 写真家や歴史が好きな方々のお力で賑やかになってきています。 同様に川南造船所跡地は史料館を設置(できればVRも)し、 市民の公園としての憩いの場、学舎としての 公園として語り継ぐべきと考えております。 |
解体時の詳細 | ・工事名称:平成23年度山代町浦ノ崎地区建物等解体整備工事 ・工事場所:伊万里市山代町地内 ・工事期間:平成23年11月15日~平成24年03月16日 ・請負金額:55099880円(内消費税 2623800円) ・工事概要:伐採工20000㎡ / 建物解体工13215㎡ / 土工一式 / 副産物処理一式 ・発注者名:伊万里市役所教育委員会教育総務課(連絡先0995-23-2125) ・施工業者:株式会社 相生(連絡先0995-23-9060) |
緑地化計画 | 2011年の年末から開始された解体作業、無事2012年03月には終了しました。解体が決定した当初、市はここを緑地公園化して記念碑(造船所跡としての)の様なものを用意すると発言していました。 が、それから7年後の2019年、跡地はどうなったでしょうか? |
市長コラム(前市長塚部様より) | 伊万里市 市長雑感 - 2011年12月15日更新 この川南造船所は、長年、地元山代町の浦ノ崎地区住民の皆様が地域の衰退を象徴するような建物の残骸だから早く解体撤去をして欲しいと願われていたものです。歴代の市長も、何とかその思いに応えようと努力をされてきたと思います。補償、解体費を県が全額補助をするという古川知事の英断で一気にその方向に向かう矢先に、市内外から戦争遺産、平和遺産で残して欲しいという声が出てきました。 私は正直、このような声に対して、不思議な思いがしました。戦後60年余り、敷地には雑草が生い茂り、建物はコンクリートむき出しで、国道沿いの目のつく場所に存在していたはずなのに、保存をせよという声を聴いたことは、今まで全くありませんでした。ようやく地元の皆様の要望どおりに解体に向け事が進もうとしていた矢先に、なぜ保存の声が出てきたのか。なぜそれ以前に平和遺産や戦争遺産としての保存運動が起こらなかったのかと。 なんとか地元の期待や要望に応えようと、問題解決に向け、血のにじむような努力を長年してきたのは、一体何だったのかと自問自答さえしました。 |
終わりに | かつて川南造船所や向山炭鉱に 足を踏み入れて頂いた方々にもう1度来ていただき、新しい1歩を踏み出せてよかったね とおっしゃって頂けるような 歴史遺産を目指して行きたいです。 史料館設置の際は私も持てる写真の展示に協力したいと考えております。 仮にVRが選ばれた場合、市民の皆様の税金を使用することになるかもしれません。 伊万里市さんには 慎重な審議と確実な進展をお願い致します。 拙い文を長々と失礼しました。皆様のご理解 に感謝致します。 |